ローマ人の物語9(一神教と多神教)

私たち仏教徒は、一神教であるキリスト教・イスラム教というものを、真に理解することは難しい、とよく言われます。
実はギリシア・ローマ文明は、仏教徒と同じ多神教だったんですね。

塩バアは、この宗教の違いについても、実に明快な定義づけをして解説します。

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ギリシア・ローマに代表される多神教と、ユダヤ・キリスト教を典型とする一神教のちがいは、次の一事につきると思う。
多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである。

多神教の神々は、ギリシア神話に見られるように、人間並みの欠点をもつ。道徳倫理の正し手ではないのだから、欠点をもっていてもいっこうにさしつかえない。
だが、一神教の神となると、完全無欠でなければならなかった。放っておけば手に負えなくなる人間を正すのが、神の役割であったからである。
「ローマ人の物語」1巻(新潮文庫・著者:塩野七生)

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旧約聖書を読んだ方はわかると思いますが、モーセが神と契約するあたりの文章は、神はユダヤ人にくどくどくどくどと細かい指示を出します。
~してはならない、~してはならない、~しなければならない、~しなければならない、みたいな文章が何百回と繰り返されます。
小うるさくていやになりますが、それでも神は道徳倫理の正し手として機能しうるわけです。

一方で、日本人が信仰している死んだらみんな仏様になる(成仏)仏教や、やおよろずの神をまつる神道では、いろんな神仏がいて、いろんなことを言います。彼らは私たちに、生きるための明確な指針を与えてくれるわけではありません。
ですから、日本人は自己の倫理や道徳を確立するための源を、宗教以外に持たなければならないわけです。


先ほど、ギリシア・ローマ文明は多神教であった、と言いましたが、ではギリシア人、ローマ人は、何をもって倫理や道徳の基礎としていたのでしょう。
ここでも塩バアは、彼女流の本質を突いた明快な解釈を提示しています。

「人間の行動原則の正し手を、
 宗教に求めたユダヤ人。
 哲学に求めたギリシア人。
 法律に求めたローマ人。」

ギリシア=哲学、ローマ=法律、なんですね。
なるほど、西洋の哲学、法律が学問として重厚なのもうなずけます。


では日本人は何に求めるべきなのでしょう。

お天道様が見ている?
それって、ただ日和見してるだけじゃない?



ローマ人の物語1(カエサルと海賊)についてのコラムは、こちら

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