ニーチェとの対話「お題:ルサンチマン」

Tomoは、読書しながら作者とよく対話します。

「なんでそんなこと考えつくの!」と驚いたり、
「それは極論で、現実的じゃないよね」とツッコミを入れたり、
「なになに?もったいぶらずに早く教えてよ」と合いの手を入れたりします。


最近読んだニーチェの「道徳の系譜学」(中山元訳・光文社古典新訳文庫)がとても面白かったので、対話を書き出してみます。

お題は、「ルサンチマン」です。

予備知識:
ルサンチマン(フランス語:ressentiment)とは、
主に弱者が強者に対して、『憤り・怨恨・憎悪・非難』の感情を持つことをいう。(引用:wikipedia)


Tomo:ではニーチェ爺のルサンチマンの定義を教えてよ。

ニーチェ「ルサンチマンは、あるものに本当の意味で反応すること、すなわち行動によって反応することができないために、想像だけの復讐によって、その埋め合わせをする」

Tomo:そうでしょうね。戦っても強者には勝てませんから、想像で復讐するしかないですよね。

ニーチェ「すべての高貴な道徳は、勝ち誇るような肯定の言葉、『然り』で自己を肯定することから生まれるものである。
ところが奴隷の道徳は最初から、『外にあるもの』を、『他なるもの』を、『自己ならざるもの』を、否定の言葉、『否』で否定する。
この否定の言葉、『否』が彼らの創造的な行為なのだ。」

Tomo: 確かに、人の言うことに対して、まず否定から入る人っているよね~
そんな人に限って自分の意見がないんだよね。

ニーチェ「価値を設定するまなざしをこのように向け変えることも―自己に向けるのではなく、外部に向けるというこの必然的な方向の転換―、かのルサンチマンの一部である。
(中略)
彼らの行動は基本的に『受動的な反応』なのである。高貴な価値評価はその逆で、まず自発的に行動し、成長する。」

Tomo:そうそう、できない奴って自分の失敗やうまくいかないことを、全部上司や同僚や会社のせいにするよね。
同じ環境でも、自分にフォーカスできる人は自分の力で切り開いていける人で、外側にフォーカスする人は弱者なのね。

ニーチェ「『生まれの良い者たち』は、みずからのことを『運の良い者』と感じていた。
こうした人々は敵を眺めたあとで、初めて自分の幸福を人為的に作り出すような必要はなかったし、状況におうじて自分は幸福なのだと言い聞かせたり、自分に嘘をついてだましたりする必要はなかったのである。
そして彼らは、もともとは力に満ちあふれた人々であり、それゆえ必然的に能動的な人物だったから、幸福と行動を区別する必要もなかったのである。」

Tomo:そうは言ってもニーチェ爺、人間はそんなに強いものじゃないよ。
自己鍛錬を積んで、少しずつ成功体験を味わって、やっと自分の行動に自信が持てるようになって幸福を感じられるようになるんじゃないのかい?

ニーチェ「これらのすべては、無力なもの、抑圧された者、毒を含み、敵意を持った感情で化膿している者たちにおける『幸福』とは正反対である。
こうした者たちにおける幸福は、麻酔、失神、休息、平和、『安息日』、感情の弛緩、四肢を伸ばすことなどのように、受動的なものとして訪れるのである。」

Tomo:毎日へとへとに働いて、週末はのんびり過ごすライフスタイルを送っている日本人サラリーマンのささやかな幸せを全否定ですね。

ニーチェ「高貴な人間は、自己への信頼と率直さをもって生きるが、ルサンチマンの人間は率直でも素朴でもなく、みずからに正直ではなく、ざっくばらんでもない。
この人間の魂はもの欲しげなのである。
この人間の精神は、隠れ家を、間道を、裏口を好むのだ。
彼にはすべての隠れたものが自分の世界であり、自分の安全な場所であり、自分の慰めとなるものとして好ましく思われるのである。
この人間は黙っていること、忘れないこと、待つこと、ひとまず自分を卑下し、謙遜することをわきまえている。」

Tomo:もうやめて、ニーチェ爺。それって日本人はルサンチマンまみれだってことじゃない!

ニーチェ「高貴な人間にルサンチマンが現れるとしても、それは直ちに反応する行動のうちに解消されてしまうために、毒となることがないのである。
それに弱い者たちや無力な者たちにルサンチマンが発生せざるをえないような無数の場合にも、高貴な人間たちにはルサンチマンがまったく現れないのである。
高貴な人間は自分の敵や自分の災難、自分の非行についてすら、長いあいだ本気に受けとめていることができない。
-それは、可塑的で、あとから自然に補い、治療し、忘却させる力に満ち溢れている充実した強い天性の『しるし』なのである。
(中略)
このような人間においてのみ、-本当の意味で『自分の敵を愛する』ということが可能なのだ。
高貴な人間はその敵にすら、どれほどの畏敬を抱いていることだろう!
-そしてこうした畏敬の念は、すでに愛への懸け橋なのである。」

Tomo:忘れるって強い人間がもつ能力なのね。少し自信が持てたよ。
要するに強い人間は過去を振り返ってうじうじ考えずに、常に今と未来を考えるってことね。

ニーチェ「これと比較して、ルサンチマンの人間が考える『敵』がどのようなものか、想像してみていただきたい。
-これこそがルサンチマンの人間の行為であり、創造物である。
『悪しき敵』を考え出し、『悪人』というものを考え出したのは、まさにこのルサンチマンの人間なのである。
しかもそれを基礎概念として、その模像として、対照的な像として『善人』なるものを考え出したのである。
-この善人こそ、自分だというわけだ!」

Tomo:言いたいことはわかるよ爺。
この歳になると、人間って良い人悪い人って2つに分けられるものじゃなくて、誰しも良い面と悪い面を持ってるんだってこと、わかってきたんだよね。
相手とコミュニケーションを取ってしっかり理解して、相手の良い面を引き出してあげる積極的な関わり方が必要だよね。
それが出来ない弱者は、自分の殻に閉じこもって強者の意見に流されるからルサンチマンをため込むことになる。
そして強者を『悪人』に仕立てるというわけだね。


このあとニーチェは、キリスト教こそが弱者の奴隷道徳なのだ!と断罪するのですが・・・
続きをお楽しみに。

中国駐在、加油!



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