習近平という男

10月18日に第19回党大会が開催されます。
共産党大会は5年に1度開かれる、党指導部の人事や重要法案を決める最も重要な会議です。

これまで中国の最高指導者である共産党総書記は、10年スパンで交代してきました。
習近平は2012年の党大会で総書記に就任しましたが、その前の2007年の党大会で、5年後に総書記に就任することが内定しました。

このことから、今回の党大会で習近平の後任が決まるのか、それとも習近平が2017年まで続投することになるのか、動向に注目が集まっています。

習近平という男はどのようにして権力の座に上り詰めたのか、彼の経歴と、共産党指導部の権力闘争を振り返ってみます。


まず、中国共産党という組織について説明します。
中国共産党は、8600万人の党員からなる巨大な組織です。

5年に一度の党大会で選出される205人の中央委員、そこから選出される25人の政治局員、そしてその上位7人が最高幹部である政治局常務委員からなるピラミッド型の組織です。
共産党総書記も政治局常務委員のうちの1人であり、あくまでも政治局常務委員の合議制で政策決定しています。

共産党は表向きには全会一致を是としており、政策も人事も話し合いで決めていることになっています。
ですが、報道されない実際の水面下では、権力者同士の激しい攻防があり、この党内闘争を勝ち抜いた者がトップに立てる、弱肉強食の世界です。

習近平が権力の頂点に立つ過程にも、激しい権力闘争がありました。


▼習近平と李克強

習近平の父である周仲勲は、59年に副首相になり、周恩来の側近として活躍した人物です。
文化大革命時には収監されましたが、文革後に復活を遂げ広東省第一書記となり、深圳の経済特区推進を行いました。

習近平は、16歳の時に文革の影響で陝西省の農村に送られ、6年間貧しい暮らしを強いられました。
その後、清華大学を卒業し、軍関連の経歴を経て、地方政府の指導者を歴任していきます。
そして、人民解放軍専属の歌手で、国民的スターだった彭麗媛と知り合い結婚します。

習のような共産党の高級幹部の第2世代を中心としたグループを「太子党」といい、党内で大きな勢力を持つようになります。


習近平の経歴を語るには、現在のNo.2、首相を務める李克強抜きには語れません。

李克強は北京大学を卒業しました。
常に成績トップの秀才で、共青団へ入団し、リーダーを務めることになります。

共青団とは、共産主義青年団の略称で、共産党の将来の幹部を養成するための若手エリート機関のことです。
胡錦濤も共青団出身で、鄧小平に引き上げられ、総書記まで上り詰めました。

ですから李克強は、将来の総書記を目されたサラブレッドでした。

李克強は胡錦濤に引き上げられるように、エリートコースの階段を駆け上がります。
99年に河南省で全国最年少の43歳の省長になり、2002年に河南省書記に昇格し、04年に遼寧省書記となりました。


習近平は97年の第15回党大会で、中央委員205人には入れず、格下の中央委員候補に最下位当選しました。
しかし、李克強は既に中央委員になっており、出世競争では明らかに李克強に分がありました。


が、2007年の第17回党大会で新たに発足した新指導部では、前評判を裏切り、習が6位、李が7位と序列が逆転したのです。

5位より上の指導者は、5年後の次の党大会での引退が予想されるため、習が次の最高指導者の最有力候補に踊り出たことを意味していました。


これには裏の事情がありました。
事前の党幹部による信任投票で、習近平の得票が李克強よりも圧倒的に多かったため、胡錦濤もこの結果を無視するわけにはいかなかったのです。

なぜ、胡錦濤の引き上げもあり、ずっと出世競争のトップを走っていた李克強が最後に負けてしまったのでしょう。

これには、江沢民と胡錦濤の権力争いが強く影響しています。


▼江沢民と胡錦濤

中国の歴代の最高指導者は、他のポストを退いてからも中央軍事委員会主席の職に留まり、人事や政策に口を挟んできました。
総書記にも国家主席にも内部で決められた定年がありあしたが、軍事委主席だけは例外扱いとなっていました。

これを利用して、江沢民は2002年に総書記を胡錦濤に譲った後も、2年にわたって軍事委主席のポストを手放さず、自分の思いのままに動かせる人事を整えることができたのです。


具体的にいうと、江沢民は軍事委主席を退く代わりに、徐才厚を軍事委副主席に任命しました。
引退後も徐才厚を通じて、軍の人事や政策を思い通りに動かすためです。

このため、胡錦濤は軍事委主席の地位にありながら、軍を思い通りに動かすことが出来ませんでした。

さらに江沢民は、自分の息のかかった周永康を2007年に政治局常務委員会入りさせました。
そして、周永康に党中央政法委員会書記も兼務させました。
党中央政法委員会書記は全国の警察や武装警察、情報機関から裁判所や検察まで一手に収める強大な権力をもつポストです。


江沢民は胡錦濤の権限を小さくするために、常務委員の数を7人から9人に増やし、自分が総書記の時に使っていた「核心」の称号を譲らず、他の8人の常務委員と同等の権限しか与えませんでした。

そのため、胡錦濤は党総書記になってからずっと、江沢民の影響のもとで、思い通り経済や政治の改革を進めることができませんでした。


江沢民は2007年の第17回党大会で、胡錦濤の息のかかった李克強が、胡錦濤の後継者となり、胡錦濤の勢力が拡大するのを断固として阻止したかったのです。
このために、党幹部による信任投票の結果を重視して習近平を次期リーダーにすべき、と強く推薦した、というわけです。


▼権力を手中に収める習近平

習近平は、江沢民と胡錦濤の主導権争いによって引き上げられたという、ツキがあったのも確かです。
ですが習近平は、軍での経歴もあり、夫人が人民解放軍専属の人気歌手であったことも幸いし、軍関係者は習近平に対して、きわめて強い親近感を持っていることも良い影響を及ぼしました。

一方で李克強は、秀才で弁も立つエリートであったことが災いし、党の長老たちからの評判も芳しくなく、党内選挙でも反対票が入ってしまうことになりました。

巨大な組織である共産党という組織をまとめるには、個人として優秀であるかどうかよりも、党員をまとめ引っ張っていく力が必要です。
その意味では、多くの共産党員は習近平に対し、地味ではあるが堅実な頼れるリーダーだと評価したのだと思います。


その後、2012年の第18回党大会で、胡錦濤は軍事委主席を含むすべてのポストから退きました。
みずから完全引退をすることによって、次期指導部に江沢民の息のかかった人物がねじ込まれないよう、事態収拾を図ったのです。

このため習近平は、長老たちによる干渉を受けずに政権を運営できることになりました。


党総書記についた後も、習近平はライバルを追い落とし、着々と自分中心の政権を築いていきます。

習は、「虎も蠅も叩く」というスローガンを掲げ、腐敗官僚の摘発を行いました。
この腐敗一掃キャンペーンは、民衆の不満を解消するという狙いも当然ありました。

しかし、本当の目的は、ライバルたちを倒して権力を手中に収めるための手段だったのです。

12年に、同じ太子党の重慶市党委員会書記の薄熙来を、妻の英国人実業殺害の疑いで、失脚させました。
14年には、前中央軍事委副主席の徐才厚を、汚職摘発によって、党籍剥奪の処分を行っています。
また同年に、政治局常務委員を務めた周永康の党籍剥奪して、逮捕しました。

一説には、薄熙来、徐才厚、周永康が共謀したクーデター計画があり、これを習近平が未然に察知して阻止した、との話もあります。

このように習近平は、腐敗一掃キャンペーンを利用して、政権内に残っていた反習近平勢力、そして江沢民の息のかかった勢力を完全に取り除いたのです。


2016年には、習近平は「核心」という言葉を使い、名実ともに最高指導者であることを誇示しています。
院政を敷く長老もおらず、自分の意のままに人事や政策を主導できる独裁権力を手にしたわけです。

これまで見てきたように、中国では権力を手放した時から、追い落とされ排除される運命にあります。
これは、文革で辛酸を舐めた習近平自身が、一番よく分かっています。

今回の党大会で、後継者候補を決めたとしても、習近平はポストを離れた後も絶対に権力を手放さないでしょう。
必ず院政を敷いて、思いのままに政治を動かすでしょう。

習近平がこれから中国をどのように舵取りしていくのか、これからも見守りたいと思います。

中国駐在、加油!



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