中国に棲むリヴァイアサン~共産党独裁体制の考察

中国は共産党の一党独裁体制が続いており、中華人民共和国の成立以来、70年近くにわたり国民から選ばれていないリーダーが国を治めています。
すでに共産党というイデオロギーは形骸化し、完全に資本主義に染まっている中国だが、一方で民主化はまったく進展していません。

17世紀の哲学者ホッブスの国家論を引き合いに出しながら、中国の政治体制について論じてみたいと思います。


ホッブスは著書「リヴァイアサン」で、「万人の万人に対する闘争」という言葉を使い、社会の本質に迫りました。
「万人の万人に対する闘争」とは、人間社会は、もし強力な統治権力を欠けば、必ず普遍的な暴力状態に陥るという原理です。
ホッブスは、国家の本質的な存在理由は、この普遍的な暴力状態を制御することにある、ということを示しました。

歴史をたどると、文明以前には、人類は争いのない原始的な共同体を営んでいました。
しかし人類の定住化とそれにともなう蓄財という進歩は、その蓄財ゆえに略奪や侵略行為を生み、そのために共同体は、争いをするための共同体に変わっていったのです。
そこでは、他の共同体に対する不安と不信によって、自分たちにとって脅威となりうる敵を、先手をとって制圧しようとする要求が生まれます。
そしてひとたび暴力による侵略が行われると、それはさらなる不安と不信を生みます。
こうして社会は闘争状態に陥ってしまうわけです。

ホッブスは、この闘争状態を人間の「自然状態」であるとし、自分たちを守るために暴力を用いることは「自然権」であると説きました。
戦争は善悪で語られることが多いですが、邪悪な意思が戦争を生み出すのではなく、戦争が引き起こされるのは人間社会の本来的な性質である、ということですね。


ホッブスは、すべての人間が「自然権」を放棄し、全員が従う公的な権力を作り出してそこに委ねる以外に、闘争状態を抑止する原理はないと説きました。
この「自然権」を放棄して全員が公的権力にしたがうという原理を、ホッブスは「自然法」といいます。

ですが実際には、不信があるために、どの勢力もまず自分から「自然権」を放棄するということはしません。
そこで、歴史的には、より強大な勢力が弱小勢力を制圧して支配関係を築くことで、闘争状態を抑制してきました。
人間社会がこのような「覇権の論理」の繰り返しによって推移してきたことは、古代中国の歴代王朝、古代オリエントの諸帝国、ローマ帝国の戦争の歴史が物語っています。

人間社会は、有史以来ホッブスの生きた中世まで、「覇権の論理」によって築かれた強大な統治権力が、これを抑制し秩序を打ち立てるしか手立てがありませんでした。
この政治体制は、つまるところ王を頂点とした専制支配体制であり、これが「自然法」を成立させる唯一の政治体制だったわけです。


国家こそ暴力の根源である、と考える人は多いですが、この考えは正しくありません。
事実は逆で、統治権力によって闘争状態を抑制することが国家の機能であり、それ故に国家が必要とされ存在している、というのが正しい考え方です。

無政府状態になれば社会はどうなるか、想像してみてください。
このことは、2010年のチュニジアのジャスミン革命に始まったアラブの春の結末を見てれば、大変良くわかると思います。

アラブ諸国の独裁政権は、一方でばらまき、一方で軍や秘密警察によって監視や弾圧をする、というアメとムチを巧みに使い分けることで、民族問題の複雑なこの地域において、曲がりなりにも長期にわたって国内の安定を維持し続けました。
民主化運動によって独裁政権は打倒したものの、打倒後の暫定政府は強固な政権が築けず、エジプトのように結局軍政が復活し、国内の治安が不安定化したり、シリアのように内戦状態に陥った国も生まれました。
まさに、ホッブスのいう「自然状態」に逆戻りしてしまったわけです。

ホッブスは300年以上も前に、現代にも通用するような本質をついた指摘をしていた、ということが理解頂けたかと思います。


現代の中国に立ち戻ってみると、中国が抱える政治課題の大部分は、大気汚染・環境破壊、農村と都市部の格差、急速な高齢化、共産党幹部の腐敗、地方政府の中央政府に対する不服従、などの国内問題です。
また全国で年間18万件もの暴動が全国で発生しているといいます。
日本や東南アジアとの領土問題などは、内政課題に比べればたいした問題ではなく、数年前に起こった反日デモや最近の反韓デモは、国民のガス抜きのために適度に煽っている程度の問題なのです。

普通の国なら、とっくに大混乱をまねいて政権が崩壊し、万人の万人に対する闘争状態に陥っているかもしれません。
そんな危機的な状況にありながら、中国が国家のていを成しているのは、共産党幹部(政治家)の統治能力が優れているからです。
たしかに、共産党幹部の汚職は国民の激しい非難を浴びているものの、地方行政のトップをいくつも経験し、長期間にわたって成果を出し続けた者だけが、最終的に政治指導者になります。

共産党のこの政治システムは、毛沢東の時代に始まったものではなく、秦以来の歴代王朝の専制支配体制が、共産主義の看板を掲げる共産党にも連綿と引き継がれている、と考えると理解しやすいです。
ですから、現在の共産党政権は、実態は「世襲ではない王朝」なんですね。
専制君主制を否定し人民共和制を築いた共産党が、専制君主制に等しい政治をしているという転倒が起こっているわけです。


もうすぐ5年に1度の中国共産党大会が開かれますね。
今日お話ししたような視点から見てみると、中国共産党大会と、それにともなう権力争いが一層面白く感じられますよ。

中国駐在、加油!



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